東京には、もっと派手な街がある。
銀座もある。
六本木もある。
渋谷も新宿もある。
それでも私は、中野から吉祥寺まで続く中央線の街が好きだ。
中野、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪、吉祥寺。
隣の駅まで数分しか離れていないのに、一駅降りるごとに街の表情が変わる。
学生が飲んでいる。
会社帰りの人が一人で飲んでいる。
昔から通っている常連がいる。
若いカップルもいる。
そして、どの街にも長く愛されてきた店がある。
焼き鳥。
居酒屋。
餃子。
ラーメン。
今風の人気店もあれば、何十年もそこにある店もある。
中央線を西へ向かいながら、そんな店を一軒ずつ覗いていくと、この沿線がなぜ面白いのかが少し分かる気がする。
中野――大都会から「人間臭い東京」へ入っていく入口
新宿から中央線ですぐ。中野駅を降りると、最初はかなり都会だ。人も多く、中野サンモールや中野ブロードウェイがあり、駅周辺では再開発も進んでいる。
ところが北口を歩き、一本細い路地へ入ると景色が変わる。
焼き鳥、居酒屋、立ち飲み、ラーメン。小さな店がぎゅっと集まり、さっきまでの都会的な風景から一気に人間臭い東京になる。
中野を代表する店の一つが「陸蒸気」だ。大きな囲炉裏を囲むような店内で魚を焼く、長く親しまれてきた店。中野で酒を飲むなら、こういう少し年季の入った店がよく似合う。
そしてラーメンなら、やはり「中華そば 青葉 中野本店」。今では珍しくなくなった動物系と魚介系を合わせるスープのスタイルを広めた店の一つとして知られ、中野を代表するラーメン店になっている。
面白いのは、こうした店のすぐ近くにサブカルチャーの聖地・中野ブロードウェイがあることだ。
アニメや漫画を目当てに来る若者がいる。その横では仕事帰りの大人が焼き鳥で酒を飲んでいる。昔から中野に通っている人もいれば、外国から来た観光客もいる。
いろいろな人が混ざっているのに、誰も浮いていない。
私にとって中野は、大都会・東京から中央線独特の生活と文化の世界へ入っていく「入口」のような街だ
高円寺――大人になっても、少しくらい不良でいていい
中野から一駅。高円寺で降りると、街の空気が一気に変わる。
古着屋、ライブハウス、小さなバー、大衆酒場。ミュージシャンなのか、芸人なのか、普通の会社員なのか分からない人も歩いている。
そして、それでいい。
高円寺らしい風景の一つが、駅前の「大将」だ。昔から親しまれてきた大衆酒場で、店の前を通ると、昼間から楽しそうに飲んでいる人たちがいることもある。
若者もいれば大人もいる。仕事帰りの人もいれば、休日を楽しんでいる人もいる。
誰が何をしている人なのかなんて、あまり重要ではない。
少し足を延ばせば、天ぷらの名店として知られる「天すけ」もある。気軽な大衆酒場と、行列のできる名店が同じ街に自然に存在しているのも高円寺らしい。
高円寺を歩いていると、ときどき思う。
大人になったからといって、大人らしい場所だけに行く必要なんてない。
若い人たちの隣でビールを飲んでもいい。知らない音楽が流れる店に入ってもいい。古着屋を覗いてもいい。少しくらい夜更かししたっていい。
年齢や肩書を気にせず、それぞれが好きなことを楽しんでいる。
高円寺には、大人になっても少しくらい不良でいていいと思わせてくれる自由がある。
阿佐ヶ谷――何でもない夜が、妙にいい
高円寺から一駅。阿佐ヶ谷に降りると、街のテンションが少し落ち着く。
でも、その落ち着きがいい。
長い商店街があり、少し横道へ入れば小さな飲み屋がある。ジャズや喫茶店の文化もあり、住宅街と飲み屋街の距離が近い。
阿佐ヶ谷で有名な店の一つが、餃子の「豚八戒」。餃子好きなら一度は名前を聞いたことがあるような人気店で、小さな店に人が集まる感じも阿佐ヶ谷によく似合う。
そして焼き鳥なら「川名」。華やかな店ではない。でも、こういう昔ながらの酒場で常連客に混じって一杯飲む時間こそ、阿佐ヶ谷らしい気がする。
阿佐ヶ谷は「この店に行くために出かける」というより、
「今日は阿佐ヶ谷で飲もうか」
くらいの曖昧さが似合う街だと思う。
商店街を歩く。横道を覗く。気になる店を見つける。「ここでいいんじゃない?」と入ってみる。
特別なイベントが起きるわけではない。
それでも気の合う人と酒を飲み、くだらない話をして店を出ると、「なんか今日、良かったな」と思える。
若い頃は、どこへ行ったか、何をしたかを気にしていた。
大人になると、誰と、どんな空気の中で時間を過ごしたかの方が記憶に残ることがある。
阿佐ヶ谷には、そんな「何でもない、いい夜」がよく似合う。
荻窪――ラーメンと酒が似合う、大人の日常の街
阿佐ヶ谷からさらに西へ。荻窪まで来ると、高円寺や阿佐ヶ谷とはまた少し空気が変わる。
駅前は賑やかだけれど、少し歩けば住宅街。中央線と丸ノ内線が交わり、遊びに来る街というより、人が実際に暮らしている街という感じが強くなる。
そして荻窪を語るなら、やはりラーメンは外せない。
代表格は「春木屋 荻窪本店」。戦後から続く老舗で、「荻窪ラーメン」を語るときには欠かせない存在だ。昔ながらの中華そばなのに、今食べてもちゃんとうまい。流行を追い続けなくても残る店には、それだけの理由があるのだと思う。
酒なら、駅前の「鳥もと」も荻窪らしい。焼き鳥をつまみながら一杯飲む。洒落た夜ではないかもしれない。でも、それがいい。
飲んでいるうちに、
「もう一軒行く?」
「いや、ラーメン食べて帰ろうか」
となる。
そこで春木屋へ向かう。
健康だけを考えれば、飲んだ後のラーメンなんて食べない方がいいのだろう。
でも人生には、正しいかどうかとは別に、楽しいかどうかという基準があってもいい。
気の合う人と飲んで、くだらない話をして、最後にラーメンを食べる。翌朝になって「昨日は食べすぎたな」と少し後悔する。
それも含めて、いい夜だったりする。
荻窪には、そんな大人の日常がよく似合う。
西荻窪――「偶然いい店を見つける」が楽しい街
西荻窪は、中央線の中でも少し不思議な街だ。
吉祥寺ほど華やかではない。荻窪ほどターミナル感もない。高円寺ほど「サブカルの街」という分かりやすい看板もない。
でも、だからこそ面白い。
駅を出て少し歩けば細い路地があり、小さな飲み屋、昔からの店、個性的な飲食店が点在している。
西荻を象徴する酒場の一つが「やきとり戎」だ。駅南口の路地に店が広がり、焼き鳥をつまみながら気軽に酒を飲む。店と街の境目が曖昧になるような雰囲気が、西荻窪によく似合う。
ラーメンなら「はつね」。昔ながらのタンメンで知られる名店だ。
一方には「麺尊RAGE」のような新しい世代の人気店もある。
昔ながらの酒場と、長く愛される店と、新しい感覚の店。
それらが大げさに区別されることなく、同じ街に普通に存在している。
私は西荻窪では、目的の店を一軒だけ決めて一直線に向かうより、少し歩いてみたくなる。
「この店、なんか良さそうだな」
そう思ったら入ってみる。
今はスマホを見れば、口コミも点数も人気メニューも分かる。失敗しない店選びはいくらでもできる。
でも、失敗しないことばかり考えていると、偶然もなくなる。
知らない店に入ったら、思っていたのとは少し違った。でも店主が面白かった。隣の客と話した。知らない料理を食べた。
後になって覚えているのは、案外そんな夜だったりする。
西荻窪は、「検索しすぎない方が楽しい街」なのだと思う。
吉祥寺――完成された街なのに、まだ人間臭い
そして吉祥寺。
この6駅の中では、最も「何でもある街」かもしれない。
買い物ができる。映画も見られる。井の頭公園がある。カフェもレストランも多い。学生、若いカップル、家族連れ、会社員。いろいろな人が一日中行き交っている。
それだけなら、よくできた人気の街で終わる。
でも吉祥寺が面白いのは、これだけ洗練されても、まだ人間臭い場所が残っていることだ。
その象徴が「いせや総本店」だと思う。
吉祥寺で長く親しまれてきた焼き鳥の名店。洒落た店が次々と生まれる吉祥寺で、焼き鳥をつまみながら気軽に酒を飲む文化が今も残っている。
そして駅北口にはハモニカ横丁がある。
細い路地に小さな店が並び、昼間の吉祥寺とは違う顔を見せる。餃子なら「みんみん」、ラーメンなら長く親しまれてきた「ホープ軒本舗」もある。
新しいものと古いもの。
おしゃれな店と大衆酒場。
学生と大人。
地元の人と、遊びに来た人。
それらが一つの街の中で普通に混ざっている。
私はそこが吉祥寺の強さだと思う。
若者の街なのに、大人が遊んでも浮かない。
昼に井の頭公園を歩いて、夕方からいせやで飲む。ハモニカ横丁を覗いて、最後にラーメンを食べて帰る。
そんな少し雑な遊び方まで受け入れてくれる。
完成された街なのに、完成されすぎていない。
吉祥寺には、その絶妙な余白が残っている。
学生と大人が、同じ酒場で楽しめる街
私が中央線の街で一番好きなのは、有名店でもラーメンでもない。
そこにいる人たちの混ざり方だ。
飲み屋に入ると、隣のテーブルでは学生らしいグループが笑っている。
カウンターには仕事帰りらしい人が一人で飲んでいる。奥では昔から通っているのだろう常連客が店主と話している。若いカップルもいれば、仲間同士で飲んでいる大人もいる。
普段なら、ほとんど接点のない人たちだ。
年齢も違う。仕事も違う。収入も違う。育ってきた環境も違う。
それなのに、同じ店で同じようにビールを飲み、焼き鳥や餃子を食べている。
誰も隣の人に、
「何をしている人ですか?」
なんて聞かない。
それがいい。
社会に出ると、人にはいろいろな肩書がついてくる。
会社では役職がある。仕事では責任がある。家庭ではそれぞれの役割がある。
大人になるほど、「ただの自分」でいられる時間は意外と少なくなる。
でも中央線の小さな酒場で暖簾をくぐり、
「生ください」
と言えば、その瞬間はただの客だ。
隣で飲んでいる学生も客。昔から通っている常連も客。自分も客。
それだけでいい。
高円寺の大将でも、荻窪の鳥もとでも、西荻窪の戎でも、吉祥寺のいせやでも、そんな光景に出会える。
学生から大人まで、それぞれ違う人生を生きている人たちが、同じ場所で楽しめる。
私は、このフラットな感じこそ中央線の街の魅力なのだと思う。
中央線では、ラーメンまで世代を超える
中央線について書いていると、どうしてもラーメンの話になる。
中野の青葉。
荻窪の春木屋。
西荻窪のはつね、麺尊RAGE。
吉祥寺のホープ軒本舗。
昔から愛されてきた店もあれば、新しい世代の人気店もある。
そして面白いのは、ラーメンを食べる人もまた世代を選ばないことだ。
学生が食べる。会社員が食べる。一人で食べる。仲間と飲んだ後に食べる。
ラーメンにはドレスコードがない。
高級な服もいらないし、肩書もいらない。カウンターに座って、食券を出すか注文する。それだけだ。
誰でも同じように一杯のラーメンを楽しめる。
考えてみれば、それは中央線の街そのものによく似ている。
若い人だけのものでもない。大人だけのものでもない。おしゃれである必要もない。
好きなら、そこにいればいい。
だから中央線の街には、ラーメンがよく似合うのかもしれない。
私が中央線の街を好きな理由
中野は、混沌。
高円寺は、自由。
阿佐ヶ谷は、余白。
荻窪は、日常。
西荻窪は、偶然。
吉祥寺は、融合。
隣り合った駅なのに、全部違う。
それでも、どの街にも共通しているものがある。
若い人がいる。大人もいる。一人で飲んでいる人もいれば、仲間と笑っている人もいる。
昔から続く店の隣に新しい店ができ、それを誰も不思議に思わない。
私は中央線そのものが好きというより、中央線の街で許されている生き方が好きなのかもしれない。
高円寺で昼から飲んでもいい。
阿佐ヶ谷で何の予定もなく店を探してもいい。
荻窪で飲んだ後にラーメンを食べてもいい。
西荻窪で口コミも見ずに知らない店へ入ってもいい。
吉祥寺で若い人たちに混じって遊んでもいい。
中野で自分の好きな世界に没頭してもいい。
誰も「いい大人なんだから」とは言わない。
若い頃は、もっと分かりやすい刺激を求めていた気がする。
有名な場所へ行く。特別な経験をする。遠くへ旅行する。
もちろん、それは今でも楽しい。
でも今は、土曜日の夕方に中央線へ乗って、
「今日はどこで降りようか」
と考える時間も、かなり贅沢だと思う。
適当な駅で降りる。
路地を歩く。
気になった店の暖簾をくぐる。
ビールを飲む。
くだらない話をする。
腹が減ったらラーメンを食べる。
大事件は起きない。
SNSに載せるほどのこともないかもしれない。
でも帰りの中央線に乗ったとき、
「今日、楽しかったな」
と思える。
人生の楽しさというのは、案外こういう何でもない夜の積み重ねなのかもしれない。
だから私は、中野から吉祥寺までの中央線の街が好きだ。
学生も、大人も、常連も、初めて来た人も、それぞれの人生を生きながら同じ街で楽しんでいる。
そんな風景を見ていると、
人生は、まだまだ面白い。
そう思えるからだ。



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