大塚国際美術館は想像以上だった。淡路島を走り、鳴門へ向かった一日の思い出

大塚国際美術館と淡路島・鳴門を巡るドライブ旅行のイメージ 旅行

関西に住んでいた頃、カーシェアで車を借りて徳島まで出かけたことがある。

目的地は、鳴門にある大塚国際美術館。

大阪を出て、明石海峡大橋を渡る。

橋を渡ったところで淡路島のサービスエリアに立ち寄った。

景色がよくて、ここでもう少しテンションが上がる。

そのまま淡路島を走り抜け、鳴門へ向かう。

今振り返っても、美術館だけではなく、そこへ向かう道中まで含めて楽しかった一日だった。

そして肝心の大塚国際美術館。

行く前は、少しだけ思っていた。

「でも、本物の絵ではないんだよな」

大塚国際美術館に展示されているのは、世界の名画を陶板で原寸大に再現した作品だ。

本物ではない。

それで、本当に感動するのだろうか。

ところが中に入ってみると、そんな疑問はすぐにどうでもよくなった。

とにかく作品が多い。

そして、知っている絵が次々に現れる。

音声ガイドを聞きながら作品の背景や見どころを知って、もう一度絵を見る。

「なるほど、そういう絵だったのか」

美術にものすごく詳しいわけではなくても、どんどん面白くなっていった。

そして美術館を楽しんだ後には、鳴門の渦潮も見た。

大阪から明石海峡大橋を渡り、淡路島を走って、名画を見て、最後は渦潮。

今思えば、かなり贅沢な日帰り旅だった。

今回は大塚国際美術館の見どころを紹介しながら、関西に住んでいたからこそできた、忘れられない一日の思い出を書いてみたい。

明石海峡大橋を渡ったところから、もう旅は始まっていた

明石海峡大橋を渡って淡路島へ向かう景色

Photo: Masakazu Matsumoto / Wikimedia Commons / CC BY 2.0

大塚国際美術館へ行った日のことを思い出すと、美術館の中だけではなく、そこへ向かう道中もよく覚えている。

大阪でカーシェアを借りて、徳島へ向けて出発した。

車で遠出するだけでも、普段とは少し違う休日になる。

そして、この日の気分を一気に「旅」に変えてくれたのが、明石海峡大橋だった。

本州から巨大な橋を渡って淡路島へ入る。

海の上を走っているような景色を見ていると、目的地に着く前から気分が上がってくる。

橋を渡ったところで、淡路島のサービスエリアにも立ち寄った。

ここがまたよかった。

観覧車がある淡路サービスエリアの風景

Photo: Mugu-shisai / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

単なるトイレ休憩ではない。

明石海峡大橋と海を眺めながら、「ここまで来たんだな」と感じられる。

目的地へ早く着くことだけを考えれば、サービスエリアなんて通過してしまえばいい。

でも車で出かけると、こういう途中にある場所まで旅の一部になる。

休憩して、景色を眺めて、また車に乗る。

そこから淡路島を南へ走っていく。

大阪の街中を走っていた景色が、いつの間にか海や島の景色に変わっている。

そして淡路島を抜ければ、いよいよ鳴門だ。

今思うと、大塚国際美術館が大阪のすぐ近くにあったわけではないからこそ、この日は印象に残っているのかもしれない。

明石海峡大橋を渡り、淡路島を走り、鳴門へ向かう。

美術館を見るための「移動」ではなく、その移動そのものが、すでに旅だった。

「本物じゃないのに感動するのか?」という疑問は、すぐに消えた

大塚国際美術館について初めて知ったとき、正直なところ少し引っかかった。

展示されているのは、本物の絵ではない。

世界の名画を陶板に原寸大で再現したものだ。

「それを見て、本当に面白いのだろうか」

そんな気持ちが少しあった。

ところが実際に中へ入ると、その考えはすぐに変わった。

まず驚いたのが、圧倒的な作品の数だった。

教科書やテレビ、どこかの本で一度は見たことがあるような名画が、次から次へと現れる。

しかも大塚国際美術館では、それらが原寸大で再現されている。

画集やスマートフォンの画面で見るのとは、まったく印象が違う。

「この絵って、こんなに大きかったのか」

そんな発見もある。

そして面白いのは、一つの美術館を歩いているだけなのに、世界中の美術館を巡っているような感覚になれることだ。

大塚国際美術館には、世界26カ国、190余りの美術館が所蔵する西洋名画などが、1,000点以上陶板で再現されている。

※展示内容などの詳細は大塚国際美術館公式サイトをご確認ください。

普通なら、それぞれの本物を見るためにはヨーロッパを中心に世界各地へ行かなければならない。

それが鳴門に集まっている。

「本物ではない」ということばかり気にしていたけれど、途中から逆に思うようになった。

本物ではないからこそ、できることもある。

そして、もう一つよかったのが音声ガイドだった。

絵を見るだけなら、「きれいだな」「すごいな」で通り過ぎてしまう作品もある。

でも、その絵が描かれた時代や背景、画家のこと、絵の中に描かれているものの意味を知ってから見ると、急に見え方が変わる。

知ると、見ることが面白くなる。

この感覚は、後になって世界遺産を学ぶようになったときにも感じたことだった。

何も知らずに見るのも楽しい。

でも少し知識を持って見ると、同じものを見ても受け取れるものが増える。

大塚国際美術館は、私にとって単に「有名な絵をたくさん見られる美術館」ではなかった。

知らなかった世界を、もっと知りたくなる場所だった。

教科書で見た名画が、次から次へと現れる

大塚国際美術館を歩いていて楽しかったのは、「あ、この絵知ってる」という瞬間が何度もやってくることだった。

最初に圧倒されるのが、システィーナ・ホール。

ミケランジェロが描いたシスティーナ礼拝堂の天井画と壁画が、空間そのものとして再現されている。

絵を一枚見るというより、その場所の中に入っていくような感覚に近い。

そして歩いていくと、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」や「最後の晩餐」、ゴッホの「ヒマワリ」、ピカソの「ゲルニカ」など、どこかで見たことのある作品が次々に現れる。

「モナ・リザって、実際はこのくらいの大きさなのか」

「最後の晩餐は、こんなスケールだったのか」

写真や教科書では分からなかったことが、原寸大で見ると実感できる。

中でも大塚国際美術館らしいと思ったのが、「最後の晩餐」だった。

ここでは修復前と修復後の姿を見比べることができる。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」

Leonardo da Vinci, The Last Supper / Wikimedia Commons / Public Domain

本物の作品を一つずつ集める普通の美術館では、なかなかできない展示だ。

ゴッホの「ヒマワリ」も面白い。

世界各地に存在する「ヒマワリ」を一つの場所で見比べられる。

フィンセント・ファン・ゴッホ「ひまわり」

Vincent van Gogh, Sunflowers / Wikimedia Commons / Public Domain

こうなってくると、「本物ではない」ということが、だんだん気にならなくなってくる。

むしろ、複製だからこそできる見せ方がある。

それが、この美術館の面白さなのだと思う。

しかも、まだまだ終わらない。

大塚国際美術館の鑑賞ルートは約4kmあるという。

作品を見ても、また作品。

「まだあるのか」と思いながら歩くのだけれど、それが嫌ではない。

次は何が出てくるのだろうと、だんだん世界の名画を巡る旅のようになってくる。

パリ、ロンドン、フィレンツェ、マドリード、ニューヨーク。

本物をすべて見るなら、世界中を旅しなければならない。

それを一日の中で疑似体験できる。

大塚国際美術館は、名画を見る場所であると同時に、「いつか本物を見に行きたい」と思わせてくれる場所でもあった。

音声ガイドを聞くと、絵は急に面白くなる

美術館というと、少し身構えてしまうところがある。

有名な作品を見ても、「すごい作品なんだろうな」と思うだけで、そのまま通り過ぎてしまうことも多い。

でも、大塚国際美術館では音声ガイドを聞きながら作品を見た。

これが思っていた以上によかった。

画家がどんな時代を生きていたのか。

なぜこの絵が描かれたのか。

絵の中の人物は誰なのか。

どこに注目して見ると面白いのか。

そんなことを知ってから改めて作品を見ると、それまで単なる「有名な絵」だったものが、急に物語を持ちはじめる。

知識が一つ増えるだけで、見えていなかったものが見えるようになる。

これは結構面白い体験だった。

絵に詳しい人なら、また違った楽しみ方があるのだと思う。

でも私のように、美術史に詳しいわけではない人間でも十分楽しめた。

むしろ知らないからこそ、

「そうだったのか」

「だからここにこれが描かれているのか」

という発見が次々にある。

そして不思議なもので、背景を知ると、いつか海外へ行って本物も見てみたいと思うようになる。

大塚国際美術館は、本物の代わりを見る場所ではなかった。

私にとっては、本物を見に行きたくなる入口だった。

この感覚は、後に世界遺産を勉強するようになってから、さらに強く感じるようになった。

世界遺産を学び始めて感じた「知ってから見る旅の面白さ」については、以前の記事「50代から世界遺産を学ぶと旅がもっと面白くなる」にも書いている。

知らないまま見る旅も楽しい。

でも、知ってから見る旅はもっと面白い。

大塚国際美術館で音声ガイドを聞きながら歩いた時間は、そんなことに気づくきっかけの一つだったのかもしれない。

名画を見たあとは、鳴門の渦潮へ

大塚国際美術館を出たあと、せっかく鳴門まで来たのだからと、鳴門の渦潮も見に行った。

鳴門の渦潮と大鳴門橋

Photo: Suicasmo / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

一日かけて世界の名画を見たあとに、今度は海を見る。

この組み合わせが、今振り返るとなかなか贅沢だった。

美術館では、人間が何百年も前に生み出した作品に圧倒された。

そして外に出れば、目の前にあるのは自然がつくり出す景色だ。

渦潮を眺めながら、

「今日はずいぶんいろいろなものを見たな」

と思った記憶がある。

大阪を出発して、明石海峡大橋を渡る。

淡路島のサービスエリアで海を眺め、島を走り抜けて鳴門へ。

大塚国際美術館で世界中の名画に触れ、そのあとに渦潮を見る。

一つひとつを切り取れば、有名な観光スポットなのかもしれない。

でも、自分で車を運転して一日の中でつないでみると、全部が一つの旅の記憶になる。

こういう一日は、時間が経ってからのほうが妙に思い出す。

関西に住んでいなかったら、おそらく思いつかなかった休日だった。

そう考えると、転勤や引っ越しで知らない土地に住むことも、悪いことばかりではない。

住む場所が変わると、休日に行ける場所も変わる。そして、人生の思い出も少しずつ増えていく。

関西に住んだ2年間で、行ける場所が増えた

関西に住んだ2年間を振り返ると、仕事のことより、こういう休日の記憶のほうが鮮明に残っていたりする。

関西で暮らした2年間については、以前の記事「大阪に住んだ2年間。食べて、飲んで、旅して、関西が好きになった」にも書いた。

大阪でカーシェアを借りて、明石海峡大橋を渡る。

淡路島のサービスエリアで景色を眺め、島を走り抜けて鳴門へ向かう。

大塚国際美術館で、世界中の名画に触れる。

音声ガイドを聞きながら作品の背景を知り、「いつか本物も見てみたい」と思う。

そして最後は、鳴門の渦潮を見る。

関西に住んでいなければ、この一日そのものがなかったかもしれない。

転勤や引っ越しは、そのときには仕事や生活の変化として考えてしまう。

でも後になって振り返ると、住む場所が変わったことで、自分の世界も少し広がっていたことに気づく。

京都へ行ったことも、奈良を歩いたことも、兵庫でゴルフをしたことも、豊岡でカニを食べたことも。

そして、淡路島を走って大塚国際美術館へ行ったことも。

どれも関西に住んだから生まれた思い出だ。

人生では、自分で計画して選んだことばかりが思い出になるわけではない。

たまたま住むことになった街。

たまたま出かけた休日。

そこで見た景色。

そんなものが、何年も経ってから意外なほど大切な記憶になっている。

人生の面白さは、予定していなかった場所に転がっていることがある。

大塚国際美術館へ行った一日は、私にとってそのことを思い出させてくれる、関西での大切な一日になっている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました