「老後のため」ばかり考えるのをやめた。元気な今にお金を使いたい理由

お金

若い頃は、お金はできるだけ残しておいた方がいいと思っていた。

住宅、教育費、老後。
先のことを考えれば、使うより貯める方が正しい。
そう考えてきたし、今でもそれ自体は間違っていないと思う。

でも最近、少し考え方が変わった。

老後のためにお金を残すことばかり考えて、
元気に動ける今を我慢しすぎてはいないだろうか。

行きたい場所がある。
食べたいものがある。
やってみたいことがある。

それなのに、

「もう少し先で」
「仕事が落ち着いたら」
「老後資金が十分になってから」

と先送りしているうちに、できなくなることもある。

お金は残せても、時間は残せない。
そして、健康も体力も、今と同じままとは限らない。

だから最近は、老後に備えることと同じくらい、
元気な今にお金を使うことも大切なのではないかと思うようになった。

もちろん、将来を考えずに使えばいいという話ではない。

貯めることも必要だ。
備えることも必要だ。

でも人生の後半では、
「いくら残すか」だけではなく、
「いつ、何に使うか」も同じくらい大事なのかもしれない。

「老後のために貯める」は、いつまで続ければいいのだろう

老後資金について考えると、不安は尽きない。

50代の貯蓄について考えたときも、平均額そのものより「自分は何のためにお金を持つのか」が大切だと感じた。

年金はいくらもらえるのか。
医療費はいくらかかるのか。
介護が必要になったらどうするのか。
長生きしたら、お金は足りるのか。

考え始めれば、いくらあっても「これで十分」とは思えなくなる。

だから、つい貯めたくなる。

もう少し。
あと少し。
これくらいあれば安心かもしれない。

でも、その「もう少し」に終わりはあるのだろうか。

仮に目標額まで貯まっても、今度は「もっとあった方が安心だ」と思うかもしれない。

お金には、不安を小さくしてくれる力がある。
でも同時に、不安が大きいほど、いくらあっても足りなく感じさせる面もある。

そして気づけば、

老後の安心を増やすために、今の楽しみを削っている。

そんな状態にもなりかねない。

もちろん、無計画に使うつもりはない。

将来のための備えは必要だし、家族に迷惑をかけないためにも、ある程度のお金は残しておきたい。

ただ最近は、こう思う。

老後のためのお金も大事だけれど、老後までの時間も同じくらい大事だ。

人生は、老後が始まるまでの待ち時間ではない。

今も、ちゃんと人生の途中にいる。

この当たり前のことを、年齢を重ねてから少しずつ実感するようになった。

お金は残せても、元気な時間は残せない

旅行はいつでも行ける。
趣味は仕事が落ち着いてからでもいい。
会いたい人には、そのうち会えばいい。

でも年齢を重ねると、少しずつ分かってくる。

お金は後から増やせても、元気に動ける時間は後から増やせない。

行きたい場所があっても、体力が落ちれば遠出が億劫になるかもしれない。

食べたいものがあっても、健康上の理由で控えなければならなくなるかもしれない。

やってみたい趣味があっても、仕事や家族の事情でできなくなることもある。

人との時間も同じだ。

会いたいと思っていた人と、いつまでも会えるとは限らない。

「そのうち」は、思っているほど確実ではない。

だから最近は、何かをしたいと思ったときに、

「今できるなら、今やっておこう」

と考えることが増えた。

もちろん、すべての願いをすぐ叶える必要はない。

でも、未来の安心のために今を削りすぎると、
あとでお金は残っても、使いたかった時間の方がなくなっているかもしれない。

それは少し寂しい。

老後資金を考えるとき、つい「残高」ばかり見てしまう。

でも本当は、人生にはもう一つ残高がある。

元気に動ける時間の残高だ。

その残高は、誰にも正確には分からない。

だからこそ、お金だけではなく、時間も大切に使いたいと思う。

元気な今だからこそ、お金を使いたいものがある

今、お金を使いたいと思うのは、物そのものよりも、その先に時間が残るものだ。

たとえば旅行。

年齢を重ねてから、旅は「どこへ行ったか」だけではなく、その時間そのものを楽しむものになった。以前、50代からの海外旅行についても書いた。

行ったことのない街を歩く。
現地のものを食べる。
思いがけない景色を見る。

帰ってきたあとも、その旅の記憶は残る。

食事もそうだ。

高い店に行くことが目的ではない。
家族や友人とゆっくり食べて、くだらない話をする。

何を食べたか以上に、誰とどんな時間を過ごしたかが残ることがある。

趣味にもお金を使いたい。

ゴルフでも、旅でも、学びでもいい。

うまくなるためだけではなく、
「今日は楽しかった」と思える日を増やすために使う。

若い頃は、買ったものが残ることに価値を感じていた。

今は少し違う。

形に残らなくてもいい。

むしろ、形には残らないけれど、あとで何度も思い出せるものにお金を使いたい。

写真を見返したとき。
昔の話をしたとき。
ふと「あのとき楽しかったな」と思い出したとき。

その瞬間にもう一度楽しめるなら、
それも十分、お金の使い道なのだと思う。

お金で買いたいのは、物よりも、あとで思い出せる時間なのかもしれない。

だからといって、貯めなくていいわけではない

病気になるかもしれない。
家の修繕が必要になるかもしれない。
家族にお金が必要になることもある。

何が起こるか分からないからこそ、ある程度の備えは持っていたい。

ただ、最近は「貯めるか、使うか」の二択ではないと思うようになった。

大事なのは、自分なりの線を決めることなのかもしれない。

ここまでは将来のために残す。
でも、ここから先は今のために使う。

そんなふうに、安心と楽しみの両方にお金を振り分ける。

老後資金のことを考えると、正解を探したくなる。

いくらあれば十分なのか。
何歳までに、いくら貯めればいいのか。

でも、本当は人によって必要な金額も違えば、楽しみたいことも違う。

だから、誰かの正解をそのまま自分に当てはめるのではなく、

「自分は何のためにお金を残し、何のために使いたいのか」

を考えることの方が大切なのだと思う。

貯めるだけでは不安はなくならない。
使うだけでも安心は得られない。

だからこそ、将来に備えながら、今も楽しむ。

そのバランスを探すこと自体が、人生の後半のお金との付き合い方なのかもしれない。

老後のためだけではなく、「今の自分」のためにもお金を使いたい

老後のことを考えないわけではない。

むしろ、年齢を重ねるほど、将来のことは現実的になってくる。

だから備える。

でも同時に、今の自分も大事にしたい。

元気に歩ける。
好きなものを食べられる。
会いたい人に会える。
行きたい場所に行ける。

そういう時間は、永遠には続かない。

お金は、使わずに残しておくこともできる。

でも時間は、残しておくことができない。

だからこれからは、残高だけを増やすことよりも、
「いい時間だった」と思える日を増やしたい。

将来の自分を安心させるために貯める。

そして、今の自分を楽しませるために使う。

どちらか一方ではなく、両方でいい。

たぶん人生の後半では、
「いくら持っているか」より、「そのお金でどんな時間を過ごしたか」の方が、あとになって大きな意味を持つ。

老後のためだけではなく、今の自分のためにもお金を使う。

それは浪費ではなく、
自分の残り時間を大切にすることなのだと思う。

インフレ時代に、資産を「貯める・増やす・計画的に使う」という考え方については、こちらの記事にまとめている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました